前回のエントリで紹介した「高谷ジャンクション」
今回は、それにまつわるエピソードを、塩原が宣美チーム(津和野&奥山)宛にLINEで送った時の原文ほぼママで掲載してみたいと思います。
以下、塩原のメッセージ
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ちなみに画像のジャンクションは『高谷(こうや)ジャンクション』という千葉県市川市内の実在のジャンクションです。
僕が1歳の頃から今日まで33年住んでいる千葉県市川市という地域の特殊性に少し関連してまして、この町には『千葉のサグラダ・ファミリア』と呼ばれていた外かく環状道路という大規模インフラ工事が僕が産まれる以前から半世紀以上行われていまし
その通称「外かん」の市川市区間の全面開通は、恐らく僕らが生きてるうちには終わらないだろうというのが通説でした。それぐらい、住宅地のど真ん中を縦断する大規模インフラだったってことです。地図が大きく変わるレベルの。
しかし、用地の買収と立ち退きが完遂してからは(どんな手を使ったかは分かりません。50年近く、地元では反対運動が行われていたけど、恐らくその世代が果てたのが一端なのかなと推測)すごいスピードで工事が進んでいきました。
そして今年2018年6月2日の16時、構想から50年近くの時間が経ち、外かん三郷〜高谷JCT間は開通しました。
「千葉のサグラダ・ファミリア」外かんが開通したあとの市内を走って驚きました。
「万年渋滞坂」だった国府台高校前の通学路。
多くの学生が自転車で坂を登ってる横を、大型トラックが朝から晩まで絶えず走り続ける、超慢性的渋滞区間に、信じられないくらい車の姿が見えなくなりました。
千葉県から埼玉県に入るには、この「万年渋滞坂」を登るか、または一度首都高に乗って都内を経由しないといけなかったのが、高速道路直通で千葉〜埼玉間が繋がり、下道である「万年渋滞坂」を使う必要が無くなったからです。
人の流れがここまで大きく変わるのを目の当たりにしたのは初めてでした。
この「高谷JCT」地図を見て頂ければ分かる通り、外かん開通前は存在さえしなかったんですよね。ただの、首都高と千葉の京葉道路を繋ぐ為の一区間に過ぎなかった。
それが、外かんが開通したことによって誕生した「生まれたてのJUNCTION」なわけです。誕生日は2018/06/02です。
そんな、大きく人の流れを変えた、恐らく多くの出会いを生み出していくことになるであろうジャンクションですが、個人的には別れも沢山生み出しました。
というのも、前述した外かん用地というのが、実は僕が通っていた市川八中の学区とドン被りしていまして、その中に住んでいた友人達がゴソっと丸ごといなくなってしまったんですね。
放課後いつも集まってた空き地も、小〜中まで野球をやっていた公園も、肝試しをしたおばけトンネルも、原付を乗り回した広場も、外かんの車線上にあったものは丸ごと無くなってしまいました。
地元の慣れ親しんだ地形が地図レベルで変わってしまうっていうの結構気持ち悪くて、そこに入り込んだ瞬間「あれ…ここどこ…」と脳が混乱を起こしてしまうことも知りました。
そんな感じで、外かん、そして高谷ジャンクションを巡って沢山の「出会い」と「別れ」があったんだろうなと想像したわけです。
大好きな地元の、その風景の一つにもなったわけだしここを「塩原ジャンクション」のヘッダーとして使ってしまうのはかなり良いんじゃないかなと思った次第です。
おわり ーーーーーーーーーーーーーー
以下、津和野の返信
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むしろこれで一本書けそう
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